食べる、という行為は生き物にとって、自分の力では作り出せない成分を体に取り込む行為です。しかしだからといって栄養摂取のことだけを目的に食事をするならば、それこそ完全な成分比率をもった錠剤数粒で食事を済ますことも可能でしょう。しかし実際にはそのようなことが定着しないのは、普段の食事には栄養成分以外にも大自然の「気」「生命力」が含まれているからです。

私たちが口にする食べ物は、加工されて形状は変わっているかもしれませんが、もとをたどればみな動物や植物です。もし私たちが食べ物として摂取しなければ、まだまだ成長を続け、あらたな生命力さえ生み出す力を秘めていた生き物です。その生命力を途中で摘んでいるのです。つまり私たちは、〈食べる〉行為によって食べ物の中に秘められた生命力を取り入れているのです。

生命力とは、韓方でいう「気」のこと。そのため、私たちは何を食べるか考えるときに、成分や栄養のみならず、その食材が持つ生命力としての「気」の質を考えなければなりません。

質の高い「気」という観点では、人工的な操作が加えられず、自然環境のもと、清らかな水と空気を吸って、太陽光を充分に浴びて育った、収穫に適した時期に取れた旬のものを、新鮮な状態で食することが理想的です。旬の食べ物がことのほかおいしく感じられるのは、思い込みや偶然ではありません。内にもつ「気」の質の高さを、食べる者の味覚が的確に認識するからこそ、おいしく感じられるのです。味覚は本来、食材の「気」の質を見分け、体が要求するかどうかを判断するために備わっています。ですから味覚の本来の役割さえ正しくもっていれば、あれこれ頭で考えなくても自然と体にとっていいものを食べたいと思い、おいしいと感じられるはずなのです。

食べ物から生命の根源である「気」を取り出すという考え方からすれば、「食べる」こと自体自分が生き残るために他の生命を犠牲にするという、サバイバルだといえるでしょう。ですから一つ一つの食材に感謝しながら食卓に向かうことが、他の命をいただくものの礼儀のような気がします。何も難しいことはありません。「いい香りだなあ」とか、「なんておいしいんだろう」「この歯ごたえがたまらないなあ」など、何でもいいですから食べ物に対する感動を持つことが大切です。

またそうした感動や感謝を持って食べてこそ、食材の持つ「生命力」が食べた者の「生命力」として昇華できるのではないでしょうか?